慌ただしく時間 › 2015年12月

2015年12月03日

しあわせ日本人

何度かここでも話題にでている整体の先生から、少し面白い話を聞きました。この先生は若いですが腕が良く(落ち着いた見かけなので、てっきり30代半ばくらいだと思っていたら実は20代半ばで驚かされました)、また、「そんなのどこから仕入れてきた?」というような知識をあれこれと持っています。もともとはサッカーの選手で、その後人の身体に関心を持ち、いろんな角度から勉強しているらしいです。

で、ある日質問されたのです。「ヨーロッパの人と、アジアの人と、南米の人。幸せを感じる感度がもっとも弱いのはどの人たちだと思いますか?」おそらく、あなたもそう思ったはずのと同じ答えを私は返しました。「そりゃ、アジアでしょ」ヨーロッパは、イタリアやフランスなど、熱く愛を語ったり歌を朗々と歌ったりするお国柄がすぐにイメージされる。南米はアルゼンチンの官能的なタンゴのダンスに、ブラジルのリオのカーニバルなどがあるし。対してアジアはどちらかというと、どうしても物静かと言うか地味目なイメージがあることは否めませんから。

しかし、答えは意外なものでした。「みなさんそう答えますけど、でも違うんです。アジアの人が、一番幸福感を感じやすいんですよ」どういうことかというと、アジアの人が「なにもない状態」であっても、なにもしなくても幸福感を感じられるセンサーが高い。だから物静かなのだと言うことなのです。

これは非常に面白い視点だと思いました。最近は、日本人が自分たちの良さをあらためて見なおそうとする本などが以前よりも増えてきたとはいえ、やれ日本人はお金を稼いでも幸福度が低い国だとか、愛情表現が薄いのがどうだとか、ほにゃららの回数が少ないとか、「オマエラ幸せじゃないんだぞ、実は」というような自虐的な本や論調は昔から多いです。これはいわば、そういう意見を前提からくつがえす斬新な視点です。やたら愛や幸せを歌ったりするのも、カーニバルで騒ぐのも、そこまでしないと幸せだと感じることができないから、というまったく別の見方を与えてくれたのです。

確かに、私たちは静かな場所で普通に何も要わず過ごすときの「間」であるとかいわゆる詫びさび的なもの、俳句の世界など、さりげなく静かなものに豊かさと満足を感じてきたのかもしれません。隣の芝生を良い風に見るだけでなく、自分たちが元々持っている幸せの感じ方のルーツを頭の中に入れて毎日を生きれば、世間で言われるようなやかましく押しつけがましい幸せ感覚とは別の、内面から充足される気持ちが生まれるかもしれません。   


Posted by 慌ただしく時間 at 15:57